新卒移住アバンチュール

これは、ぼくの日々の冒険のはなし

ガソリン・チェリーボーイ~上~

 

どーも、しまでんです。

 

いきなりですが、今回は物語風に書いてみたいと思います。

たまにはいいかなと。

 

くだらない話ですが、お時間がありましたら、ぜひ一読を。

 

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人が何かを食べないと生きられないのと同じように、車もガソリンなしでは走れない。

 

 

こんな当然のこと、わざわざ書く必要のない常識。

 

・ならガソリンはどこで手に入るのか?

・スーパーで買うことができるのか?ドリンクコーナーの横に置かれているのか?

 

これも当たり前。ガソリンスタンドで給油する。

ガソリンが減ってきたら必要な分だけ給油して、また車を走らせる。

 

そんなこと今どき小学生でも知ってる。まだ車を運転できないのに。

 

 

なんの話をしているのかって?

これは、僕がはじめてガソリンスタンドに行った冒険のはなしだ。

 

 

―午前9時―

 

大丈夫。簡単なことだ。

そう自分に言い聞かせる。何か理由を見つけて通り過ぎようとする自分を拭い去ろうと。

 

僕は今まさに、ガソリンスタンドから30m手前の信号待ちをしている車の中にいる。

 

信号が青なのに横断歩道を渡る歩行者は一人もいない。

ここを渡る人をこれまで見たことがないのだが、そんなことはどうでもいい。

 

この時ほど信号に祈ったことはない。

このまま赤信号でいてくれ、と。

 

僕の安っぽい願いをあっさりと却下した信号は、無情にも青を示す。

 

ああ、そうかよ。ならいいさ。

 

まるで青信号を待ちきれずにいらいらするおっさんのように、ぐっとアクセルを踏んで車を前進させる。

 

INの表示が近づく。

いつもそうしているように、左折のウインカーを出して周囲に意思表示をする。

 

この車はこれより、ガソリンスタンドに向かう。サーイエッサー。

 

ブレーキペダルを踏んで減速し、ゆっくりと敷地内に入る。

車を停車させるスペースまで行き、しばらく観察してみることにする。

 

給油する装置は二つ。敷地内のちょうど真ん中に位置している。

ガソリンを求める車はそのどちらかの装置の近くで停まり、前の車の番が終わるのを待つ。

給油を終えた車は出口へと向かい、元の道へと帰っていく。

 

よし。大体の流れは掴んだ。あとは実践あるのみだ。

僕は車を二つのうち自分から見て手前側の装置の近くへと誘導して、その時を待つ。

 

待ちながら考える。

なぜ教習所では給油のやり方を学ばないのか、と。

車の運転の仕方を学ぶ場なら、車を走らせるガソリンの入れ方もまとめて頭に入れた方がいいに決まっている。ぜったいに。

 

今日の日本では、ガソリンスタンドはセルフが主流である。

多くの人を雇わなくて済み、その分ガソリン代が安い。

 

1リットルで10円は違うのだ。

20リットル入れたらその差は200円にもなる。10個1パックの卵が買えるではないか。

 

というわけで、僕は初めての給油にこのセルフ式のガソリンスタンドを選んだ。

懐がさみしい僕にとっては、これくらいでも節約しなくては。

 

昨日なら上司の人が一緒の車に乗っていたというのに、水曜日なら1リットルあたり2円安くなると聞き、おおまかな給油の流れを聞いて給油を今日に持ち越したのだ。

 

と思いを巡らせていると、僕の後ろにも一台の車がついた。

もう引き返すことはできない。まさに背水の陣。

 

前の車が補給を終え、颯爽と駆けていく。

 

さあ、時は来た。

心臓の鼓動が早くなってくるのを感じながら、僕はピットインエリアに車をつける、、、

 

 

 

はい、今回はここまでで。

次回は続編です。興味ない方は申し訳ない。

ばいばーい。

ゆとり世代。

1990年代に生まれた子供たちは、ある種の”敬意”をもってそう呼ばれて育った。

そんな”幸運なやつら”の中でも、小学校、中学校、高校の12年間、

ずっとゆとり教育を受けてきたゆとりのエリートがいる。

95年に生まれたこどもたち。

スーパーラッキーベイビーズ。

 

ここに男が一人。

東京の高校、大学を卒業し、やってきたのは新潟県の魚沼市にある福山新田地区。

生活するには車が必須、冬になると何mも雪が積もるという。

コンクリートジャングル育ちの次なる舞台は、大自然。

「土」の人と交流し、「風」としての役割を果たして、風土を生み出せ。

もちろん、95年生まれ。オーマイゴット。